松尾みどり
みどりの泉

みどりのお便り
9月30日

あなたはどんな時に不安になりますか?
どんな時に言いようの無い孤独感を覚えますか?
こんなにも素晴らしい家族や友人に囲まれて
充実した毎日を送っている筈なのに
なぜか満たされない、そんな経験はありませんか?
真摯に信じてきたはずのものに裏切られたとき
あなたは一体何をするのでしょう?

来る10月2日福岡・8日大阪・25日東京では
”スターゲートを開く旅 第5章コントロールゲームの終焉と新世界”
というテーマで講演を行います。
私たちが信じてきた”幸せ”とは一体何だったのか?
長い間あらゆる手段で人々を呪縛してきた
”コントロールゲーム”の真相を解き明かします。
あらゆる形の”コントロールゲーム”が解けると
あなたの目の前には新しい世界が広がります。
どうぞお楽しみに!!

9月12日  遺伝子がONになる!?ハードチャレンジの旅 その2

2日目の朝は昨夜の熟睡で爽やかなお目覚めでした。
「大型台風が本土に上陸!」とのTVニュースを見ながら
ここ石垣島では台風一過の快い青空。
海で泳いだことのない母は新しく買ったばかりの水着を
それなりに着てソワソワ。姪っ子は何度もリュックの中身を点検。
案内をしてくれる家族と合流し、一行は待望の
ラグーン(さんご礁)の海へと出発です。

現地に到着すると母はその美しさに圧倒され
ただただ言葉少な気に立ちつくす有様。
ビーチでは皆が手分けして手際よくテントを張り
シートを敷いて食事の支度に取り掛かります。
アレッ!?白いご飯はあってもおかずは見当たりません。
「さぁ、今日のおかずを釣ってもらいましょう」と
釣竿を渡された男性陣は責任重大。
それでも周囲の心配をよそに大きなボラと小さなベラや糸よりが
釣れました。浜で魚を焼いて海水で洗いながら皮をはがして
食べると丁度いい塩加減。野草の天ぷらに
梅干のおにぎりが次々にお腹に収まります。
初めてのダイナミックなアウトドア料理に姪っ子も大喜び。
子供たちもすぐに仲良しになり、一緒に泳いだり
水かけ遊びをしたり、日頃見たことの無い笑顔に包まれています。

さて、いよいよ母も初めての海に入ることになりました。
何度も波打ち際のしぶきに足を入れたり出したりしながら
まずは感触を確かめている様子。
私は母の手をひいて岸から徐々に離れていき
腰の浸かる深さまで歩いていきました。
怖がりの母は「ちょっと怖いね」「まだちょっと怖い」を連発しながら
私の手をギュッと握ったままです。
私は「足が悪くても、体重が小錦でも、
海水には浮力があるから大丈夫。」と言いつつ、
まずは水面に顔を浸けるところからスタートしました。
水に慣れてくると今度は水面に浮かぶ練習です。

まずは海面に仰向けにします。
私は母の側に立って片方の手で首の下を添え、
もう片方の手で相手の腰の辺りを持ち上げるように支えながら
水中でゆっくりと大きな円を描くように動かします。
水しぶきが顔にかかり少し不安げな表情を浮かべますが
「上手い、上手い、大丈夫出来てるよ」と声をかけます。
そのうちに少しずつ手を離して、支え無しに浮かべてみます。
こうして「浮いた」感触が掴めればしめたもの。
補助無しに自由に浮かび波の揺らぎを愉しんでいます。

暫くしたら今度はシュノーケリングに挑戦です。
最初のうちは呼吸のリズムが取れずに悪戦苦闘。
しかし綺麗な魚たちを目の前にするともう必死です。
なんとか海の中に潜り、一緒にサンゴ礁を観ることにしました。
目の醒めるような色彩の魚が目の前を横切る姿に
「あら〜っすごい!すごい!見える!見える!」と大ハシャギ。
「こんな年になってこんな事もあるんだねぇ」と感無量です。
やっぱりここでも遺伝子のスイッチがONになってしまったようです。

普段物事に対して(或は対人関係において)
「怖がり」や「不安症」の人は緊張して
海水に身を任せて浮かぶことができません。
水面に浮かぶ練習は自分を信頼する練習の一環として
とても役に立ちます。
皆様も思い切ってチャレンジなさってみてはいかがでしょうか?

おわり

9月8日   遺伝子がONになる!?ハードチャレンジの旅

世界中で日本国内で台風や洪水のニュースが絶えない
今日この頃ですが、皆様にはお変わりございませんか?
子供たちの夏休みも終わり新学期が始まりました。
そして私が家族に捧げた短い夏休みも
沖縄は石垣島に楽しい想い出を残して終えたばかりです。

8月下旬、80年間殆ど海で泳いだことのないカナヅチの母と
そんな祖母に育てられた怖がりの小学5年生の姪っ子を連れて
”チャレンジの旅”へと出発しました。

石垣島に到着し、ホテルのチェックインを済ませると
直ぐに”カヌー乗り場へ直行です。
ライフジャケットを装着するのも、パドルを握るのも初めての2人。
恐る恐る2艇でのカヌーに別れて乗り込みます。
「えーっ、これで漕ぐの?いきなり?」戸惑う私たちに
「はい、そうです。」とガイドさん。
こんな調子で覚悟していたとはいえ、
全く舟は進まずパドルは宙を舞い、
川の両岸のマングローブにぶつかりながら奥地へと進みます。

カヌー パパイヤの実

「万が一ひっくり返れば泥水の中‥でも泳げない!」という
緊張感が人間の隠れた能力を目覚めさせ
遺伝子のスイッチをONにすることができるようです。
皆必死ですから、形振りかまわず
顔や体に泥をはねつけて頑張ります。
特に80歳の母は元より足が悪く、ヒザを曲げて正座ができません。
川の奥地でカヌーを降りて少しばかりマングローブの木々の中を
歩くことになりました。ぬかるみを抜けて小高い丘を登ります。
「うわっ、ぬかるみに靴をとられた!」「えーっ今度は登り?」
そういう私も悪戦苦闘。
必死になると「足が痛い」だの「汚れる」だの言ってられません。

丘を登りきると目の前にはサトウキビ畑が広がります。
他にもパパイヤや島バナナ、パイナップルが生っています。
初めてみるバナナの花に都会っ子は大歓声!

バナナの花 台風で飛んだ家

向こうにはつい数日前の台風11号で床を
残して中身ごと何メートルも飛ばされた小屋を発見。
何でも鍵をかけたまま小屋は飛んでしまったらしく
どうやって家に入ろうかガイドさんも頭を悩ませているところだとか。

その足元の家の床を支えていた木の切り株には
見たこともないお化けサイズの木野子が!
また「これは何?」とよく見ると巨大な「シジミ」。
私の知るシジミは味噌汁の中にあるようなものでしたが
このシジミは子供の顔ほどの大きさがあります。
しかし聞けば大きいのはサイズだけで
肝心の中身は
さほど変わらないのだそう。
海水の満ち引きが激しいマングローブの川で
引き潮の乾燥から身を守るために殻が発達したのだそうです。
貝でさえ自らの姿を変えてでも身を守るのですね。
これも遺伝子のスイッチがONになったのかも知れません。

大きな木野子 巨大シジミ

こうしてハードな1日が幕を閉じ、
夜はぐったりと深い眠りに就きました。
2人はどんな夢を見ているのでしょうか?

つづく

8月9日       ひき続き        

今まで皆様にもお話してきたように本当のカルマの
パターンが終わると、必ずどこかでその過去を振り返って
自分自身に確認させるような出来事が起きてきます。
きしくも戦後60年の終戦記念日を目前に
こんな日が訪れたことは単なる偶然ではなかったのでしょう。
私は改めて「人類の平和」について考えてみました。
人類はこの原爆投下がなければ「本当の平和」について
考えることはできなかったのでしょうか?

少し横道にそれますが、私の娘がまだ小学2年生の頃でした。
ある日窓から見える夏の青空に広がる入道雲を見ながら
ポツリと言いました。
「あ〜わたしがちょうど犬走り(家の脇の狭い道路)の上で
仰向けに寝ていたら、どこからか『みっちゃん、早く逃げて!』
という声がしたの。それで逃げようとした途端にピカッ!!と
凄い光線が目に飛び込んできて、次の瞬間には
もう目の玉が飛び出したようになって、髪の毛も一瞬に吹き飛んで
体も溶けてしまったの、恐かったー!!
そう言えば、その時私の名前はみつ子で、みっちゃんて
呼ばれていたの。それで原爆のお話とか恐くて恐くて
もう絶対聞きたくない。」と言ったのを聞いて
ビックリしたことがあります。
と、すれば被爆から若干30年余りで
生まれた変わったことになります。
そして彼女は唯一人ケロイド体質といわれたことがあり、
小6の時の広島への修学旅行も欠席してしまいました。

また別の男性で「自分は第2次大戦当時、海軍に所属していて
海に消えた記憶がある」と話してくれたこともありました。
こうしてみると、最近では生まれ変わりも
早いサイクルで起きているようです。

しかし何よりもこの原子爆弾の投下は、
様々な大義名分の裏に隠されてきた事実に
注目しなければなりません。
それは一度開発された大量破壊兵器はその精度を知るために
必ずどこかで実験することになる、という事です。
その恐るべき人体を使った原子爆弾の実験がまさに
この広島と長崎で行われた、というのが事実です。

これは二元的な世界観で作られた
「怖れや恐怖心、欲望」にまみれた
人類の愚かな知恵の結末だったのでしょうか?
勝ち負けしか選択をもたない、追い詰められた人々の
爬虫類脳が決定した愚かな選択から、あなたは
何を学び、何をもって次の世界を創造しますか?
放射能を使って戦争を終結させる方法以外に
選択肢を持たなかった人間の浅はかな思い上がりの代償は
余りにも大きすぎました。人類の悲しみや苦しみの全てが、
人間の心の中で創造されたものばかりです。
自らを信じられない不安や恐怖感は、やがて他者を信じられなくなり
疑心暗鬼にとりつかれ、仮想の敵をつくって
人類の殺戮へと及ぶのです。

自分自身の直感と言葉と行動(三種の神器)を使えない限り、
本当の戦いの終焉はやってきません。
愚かな意識次元はやがて人類の学びと共に消えてゆくでしょう。
なぜなら人間同士が殺し合い、資源を奪い合う
戦争をしている猶予等はないのです。ひたひたと宙からやってくる
想像を絶する変革の時が来ているからです。

天変地異はそんな人々に「生命の原点」を見据え、
もう一度魂の故郷を見直すことを示唆しています。
自らのカルマ(過去から持ち越したものの見方や感情パターン)を
しっかり受け止め、再び立ち上がり、新しい方向性を見出していく
勇気を持てる「あなた」にこそ5次元への扉が開かれます。

8月5日      暑中お見舞い申し上げます

全国各地で天候不順による様々な被害が出ていますが、
皆様にはお変わりございませんか?

さて今年は戦後60年という大きな節目を迎えました。
終戦の年(昭和20年)に生まれた方も今年還暦を迎え、
それぞれにお子様やお孫さんに囲まれて
平和にお暮らしの方々も多いと思います。

しかし、この平和な暮らしの背後には人類の恥とも云える
悪夢のような歴史が存在しています。
広島、長崎に原子爆弾が投下され、敗戦国となった日本は
焦土と化し食糧も家も何もかもが失われ、
被爆者たちは想像を絶する苦しみの中で死に逝きました。
そして原爆で使われたプルトニウムによる放射能汚染は
子宮内の胎児をも襲い、被爆した人々の子孫にさえ広がり続け、
重度の血液の病気の種を遺伝子に残してしまったのです。
そんな被爆2世の友人たちが今も長崎にいます。

私自身は戦後の生まれで被爆体験者ではありませんが、
13歳くらいまでの子供時代を長崎で過ごしました。
爆風で曲がりくねった鉄塔や鉄骨などが浦上駅近くに
放置されたまま、浦上天主堂の石像の首は吹き飛ばされ、
人影さえ残されたままの石壁の残骸は子供心に
もの凄いショックで、今でも鮮明に頭の片隅に残っています。
私は大人たちに尋ねました。
「ねえ、どうして人間同士が殺しあうの?何が原因なの?」
その質問に明確に答えられる大人はいませんでした。

それ以前にも長崎にはキリシタン弾圧の歴史があり、
多くのクリスチャンが十字架に処せられて
非業の死を遂げたのでした。
正直言って子供の頃はそんな恐い話ばかりを聞かされて
キリスト教の教会には建物以外に
魅かれるところはありませんでした。

しかし運命のいたずらでしょうか、クリスチャンでもない私が
2年間過ごした中学は何故かカトリックのキリスト教の中学校でした。
小学4〜6年生までは長崎市内の十字架山の近くにある
高尾小学校に学びました。十字架山はクリスチャンのお墓が
祀られている小高い丘です。なんだかこうして振り返ると
自分の周囲はキリスト教関係のものばかりでしたね。
ずいぶん後になって、これには全て理由があることがわかりました。
それは私の過去世でのカルマを確認する必要があったからです。

自分でも不思議に思うことがありました。私は中学2年生の時
長崎から福岡に転校しましたが、なぜかそれ以来
生まれ故郷の長崎に戻りたいと思わなかったのです。
(勿論、仕事で何度か訪れることはありましたが)

そして約半世紀ぶりに、先日の福岡レクチャーの後、
ひょんな事から子供時代(3〜9歳)を過ごした。
長崎県西彼杵郡長与町を訪れることになりました。
まずは当時通っていた小学校に向かいます。
校門をくぐると昔の恋人にでも逢うようにドキドキします。
丁度学校は夏休みで当直の先生が笑顔で迎えてくださり、
校長室でお茶まで頂いて、一気にタイムスリップしたようです。

中でも記憶にしっかりと残っているのが「一本の樹」です。
「ありました!ありました!」あの「大きな樹」
「わたしの樹」「優しい樹」です。
なんだかその樹も「おかえり」と言ってくれたようで
胸がジーンと熱くなります。
こんなにも繁って更に大木になっていました。

実はこの樹には随分お世話になりました。
幼稚園に行かなかった私は入学以来勝手気ままな行動ばかりで
時々廊下に立たされていました。
算数の時間も、国語の時間も我関せず。好きな切り絵や
絵を描いていたようで親もホトホト呆れていたとか。
そんな時「廊下へ立ってなさい!」という言葉は
私にとっては「外で遊んできなさい」と聞こえていたようです。
立たされると大喜びで校庭へ駆出し、
そしてあの木の下で絵を描いたり、石遊びをしたり、
犬を追い掛け回したり‥先生を随分困らせたようでした。
「今も大して変わらない!」という声が聞こえてきそうですが‥
その後昔住んでいた場所にも行きましたが、
こちらはすっかり様変わりし当時の痕跡は見られませんでした。

こうして辿っていくうちに、私の心の中に
「ようやく過去のカルマの確認作業は終了!!
今日はそんな記念日ね!」と内なる声が響いてきて
嬉しくて心が弾みました。

つづく

7月27日

昨日は関東地方に台風7号が上陸し、
現在も東北、北海道で猛威を振るっています。
皆様に被害はございませんでしたか?

また昨日は延期されていたスペースシャトル ディスカバリー号の
打ち上げが無事に成功しましたね。
今回の飛行では宇宙ステーションの建設を再開し、
中でも日本人宇宙飛行士の野口さんが3度の
船外飛行を行うそうです。
益々、日本人技士の活躍が期待されますね。

また先頃は宇宙探査機ディープインパクトが探査ロケットを
すい星に衝突させ、その破片の収集に成功しました。
破片には有機物の存在も確認されているということで
地球生命誕生の過程の解明に
大きく前進したと言ってもいいでしょう。

こういった科学の進歩は大変に喜ばしいことですが、
宇宙を紐解く鍵は実はそれだけではありません。

私達が星空を見上げ懐かしい気持ちになるのは何故でしょう?
星々を動物や形になぞらえて星座を描くのは何故でしょうか?
それは私達の遺伝子の中に宇宙の情報や、
渡り歩いてきた星の記憶を持っているのです。

そしてこの遺伝子が磁力を持ち私たちの現実を創っています。
つまり私たちの現実生活は宇宙空間に巻き起こる
壮大なドラマの縮図でもあるのです。

果たして星の衝突と嫁姑問題には
どんな因果関係があるのでしょうか!?

今回の”スターゲートを開く旅 第4章 遺伝子コードを開く鍵”
解明していきますので、どうぞお楽しみに!!

7月19日

東京も梅雨明けして夏真っ盛りとなりました。
皆様にはお変わりございませんか?

パソコンや携帯電話の普及でメールでの
コミュニケーションが盛んになっています。
御多分にもれず、私もメールでは絵文字を活用して
コミュニケーションを図っていますが、
絵文字無しには感情の表現が出来ない、
或いは日本語が乱れてきている等の弊害も聞こえてきます。

ある時ふと「絵文字だけでメールを送れないものだろうか?」と思い、
試してみました。ある程度の行動は絵で表現できるのですが、
難しいのが”時間”を表現することです。

つまり”見る”は伝えられるのですが”(昨日)見た”
又は”(明日)見る”の違いを表すことは意外と難しいのです。
思えば過去に象形文字で文章を書いていた時代、
ヒトはどうやって時間の違いを表現していたのでしょうか?
或いは当時の時間の概念は現在とは違ったものなのでしょうか?

私の知人でもある柳瀬宏秀さんの”コズミックダイヤリー”によれば、
7月25日は”時間を外した日”なのだそうです。
この日ばかりは日頃追われがちな”時計時間”を離れ、
自分自身の持つ”意識時間”に気持ちを向けるのも
いいかも知れませんね!

7月7日

本日サーバーの不具合により本ページに
アクセスできない時間帯がありました。
ご迷惑ご心配をおかけしましたことをお詫びいたします。

皆様お元気でいらっしゃいますか?
関東地方は晴れ間がのぞき、梅雨も一休みでしょうか。
織姫とひこ星も1年ぶりの再会を果たせるかもしれません。
明後日9日は3ヶ月ぶりの大阪レクチャーです。
皆様と再会できることを心待ちにしております。